交渉

「話は変わるが、そなたは関ヶ原の合戦では、丹後田辺城で篭城しておったのだな」
「はは。子の忠興が関ヶ原に出陣したのち、西軍の軍勢15000が田辺に押し寄せてきたのでございまする。」
「うむ、500の兵とともに、よくぞ持ちこたえたな。……そなたは古今伝授の継承者であったから、帝の使者もあって講和したとか」
「武士の恥ではございまするが、あのときほど、教養というものの尊さを感じたことはございませぬ。
私は古今和歌集の口伝を受けていましたが、その継承者を絶やさぬため、帝と公家たちが勅使をつかわしたのです。
中院通勝殿、烏丸光広殿、三条西実枝殿がおとずれ、命を大切にせよとの宣下にございました……」
「そうか……武士にあって教養あるものは、交渉でその知識を発揮できるだけでなく、身を守ることすらあるということであるな。藤孝、天晴れじゃ。」

教養

「上様もおっしゃったとおり、武士はともすると武勇にのみ走りがちですが、交渉事において深い教養は欠かせませぬ」
「教養があるものといえば、藤孝のほか、明智光秀、大原雪斎、以心崇伝……みな外交に長けた者たちであるな」
「僧や学者が多いでございますな。地方の武士にいたっては、いかに名将といえども田舎侍と言われたことがございましょう。
この時代、歴史も流行も京が最先端にございまする。京のみやびな文化を知り、言葉、手紙の端々に教養を織り込まねば、公家には相手にしてもらえませぬ。
そうでなくとも、故事を知り、先人の知恵を借りることは、我々にとって有益なことも多いでしょうな。
かの竹中半兵衛殿は、羽柴秀吉殿に『三顧の礼』をもって迎えられたといいますし、『合従連衡』という外交戦略も、故事を知らねばできませぬ」
「『三顧の礼』は三国時代の劉備が孔明にたいして行ったとされる丁重な登用法。『合従連衡』は中国の戦国時代にあった外交政策であるな。
そういえば『合従連衡』は歴史ifイベントで発生するのであったな」
「左様でございまする。とにかくゲーム中では、このように教養も深く関わってくるということでございまするな」